海をみてると泣けてきた

この子の歌声に癒されました♡

朝起きて、海に行きたいと思った。

坂を下りるとセブンがある。
そこでカフェオレをビニール袋に入れて
引き潮で露わになった砂浜を歩いた。

防波堤の突起に腰を下ろして
カフェオレ飲みながら海を眺めていると
気になることが浮かんできた。

「なんであの人は、あんなに狡猾なの」
「それが鼻につくのょ」

私の中でずっと引っかかっていたこと。
すると『あなたもでしょ』
いやいや私はあんなにひどくないと否定する。
すると『自分だょ』

心の奥の奥では気づいていてもフタをしてきたことだ。
「そうだね、そんなこと言ったら他にもあるし」
『それを許す』
「それってイエスじゃん」

昔々、キリスト教の高校で
イエスを宇宙人と書いて0点になったのを思い出した。
だって地球人なら、許せなくて抵抗するでしょ。

「無理」と海をみてると泣けてきた。
人間が捨てたゴミが浮き、廃棄物も混ざり
それでも文句を言わず抵抗もせず、ただ受け入れて飲み込んでいる。
そんな海が眩し過ぎて直視できないじゃん。

涙がじわじわでてきた。
砂浜に捨ててあるゴミをビニール袋に入れた。
これぐらいしかできないけど、海ごめんね、ありがとうね。
私もごめんね、許してね。
あぁ、これホ・オポノポノだ。
・・なんだか軽くなってきた。

帰りの横断歩道で信号待ちのとき
『覚悟できた?』
それには応えず「なんでイエスは許せたのかな」
キリスト教の信者がイエスを信仰したように
イエスは何を信じたんだろって思った。

アジア思想の影響を受けたかもしれんけど
どちらにしても彼らの根底に「赦し」があるのは
どんな自分も受け入れたからだろうなぁ。

友人の狡猾さが自分にはないという抵抗は
痛みをかわす術だったり
明日も生きていくための知恵だったり
一生懸命考えた結果だから責めない。

だから、よく頑張ったねと抱きしめてあげたい。
それが一番の癒しだと感じた。

海にありがとう。

教えてくれる友人にありがとう。

私にもありがとう。

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